米沢市上杉博物館で国宝の特別展を行っているとの情報をキャッチし、上杉家の町米沢へ。
米沢観光のマストスポット上杉神社には何度も行っていますが上杉博物館は今回が初めてです。
米沢は米沢牛グルメしかないと思ったら大間違いです。
米沢市上杉博物館は文化財の宝庫でした。
上杉神社に参拝から
米沢に来たら何より先に上杉神社に参詣です。
米沢城周辺には無料駐車場が整備されているので、そちらに駐車して参道へ参ります。
上杉謙信を祀る上杉神社へ
上杉神社はもともと米沢藩藩主の居城 米沢城でした。
現在は上杉謙信を祀る上杉神社を中心に松が岬公園として無料で散策可能です。
お堀もぐるっと一周回ることができます。
駐車場も公園も整備されていて市民の憩いの場のひとつです。
為せば成る 米沢の英雄
成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり
これを聞いたことがある人は多いと思います。
誰が詠んだかは知らない人も多いのではないでしょうか。
これを詠んだ方は上杉鷹山という江戸時代の米沢藩のお殿様です。
上杉鷹山は米沢藩9代藩主で、破産寸前の米沢藩の再生のきっかけを作った江戸時代の名君の一人として知られています。
アメリカ合衆国 35代大統領 ジョン・F・ケネディ(John F Kennedy) が記者から
「日本で最も尊敬する政治家はだれですか」と質問され
「上杉鷹山 “Yozan Uesugi” 」と答えたとして日本でも広く知られるようになりました。
内村鑑三著”代表的日本人(Representative Men of Japan)”の5人の中に、西郷隆盛・二宮尊徳と並んで上杉鷹山が紹介されています。
大統領はこの本を通して鷹山を知り敬意を持ったとのことです。
至宝がそろう米沢上杉博物館へ
お参りが済んだので上杉神社を出て右側にある米沢市上杉博物館へ参りましょう。
館内でチケットを購入していよいよ入場です。
内部はいくつかの展示エリアに分かれていますが、個人的ハイライトを紹介します。
信長から謙信への贈り物
米沢市上杉博物館では、国宝「上杉本洛中洛外図屏風」が所蔵されています。
これは織田信長から上杉謙信へ贈られた屏風といわれ400年以上大事に保存されてきました。
筆者は織田/豊臣の時代に活躍した狩野派の狩野永徳。
国宝に指定されている山形県の宝です。
描かれているのは、当時の京都の市内(洛中)と郊外(洛外)の様子です。
金の雲が全体にわたって横たわっているのが特徴で、場面を区切る役割をしています。
現物は常に展示されていませんが、アニメーションを駆使した展示はとても分かりやすいです。
歴史が苦手な人も楽しめる展示が印象的でした。
お殿様もつらいよ
展示品の中に国宝「上杉家文書」 本丸他2ヶ所用人中宛 上杉鷹山書状がありました。
奥御殿に出入りしている中に公私を混同している者がいるので注意せよ、というものです。
奥御殿は江戸城でいうところの大奥に当たり、藩主以外の男性は入れない男子禁制の場所です。
しかし、奥御殿に仕える女性の親族は必要があれば出入りを特別に許可されていました。
本来は緊急な用事でしか入れないはずなのに、まるで公の仕事として出入りしている家臣がいたようです。
そのような家臣にくぎを刺した書状でした。
この時代にも勘違い行動をする人がいたということでしょうか。
藩主自らこのようなお触れを出さないといけないとは意外です。
当時のお殿様も組織運営に頭を悩まされていたことが想像できます。
お堀の天敵は
城下町の民衆への通達の書状もありました。
内容は、
・土手で子供が遊んで一部を崩している。父兄は管理監督を怠るな。
・お堀で勝手に魚を取ったりするな。
というもので、近所の公園の貼り紙のような内容です。
平和な時代に無用となったお堀や土塁の管理に十分な手が回らなかったのでしょう。
民衆統制が厳格にできていなかった様子が見られます。
米沢のお土産とグルメも楽しめる
米沢市上杉博物館から出て徒歩2分の上杉城史苑で米沢のお土産物がそろいます。
ついつい米沢牛コロッケいただきました。
他にも米沢ラーメンや米沢牛串も楽しめます。
米沢牛だけでない!米沢文化の魅力を発見!
当時の生活が、米沢市上杉博物館の展示品を通して、生き生きと伝わってきました。
江戸時代の人も現代と変わらないことで悩んだり楽しんだりしていたことに親近感を持ちました。
他にも見どころいっぱいですので、
米沢にお立ち寄りの際は米沢市上杉博物館にも足を運んでみてはいかがでしょうか。